ベトナム縦断⑥ホーチミンシティ2日目
9月15日(木)
たまたまですが、このホテル界隈はバックパッカーの聖地と呼ばれています。確かに鰻の寝床のような間口は狭くて奥に長いホテルがずらりと並んでいます。世界のバックパッカーの中心がバンコクのカオサン通りからここフォングラーオ通りに移った、などと言う記事も目にしました。
しかしこのホテルはWifiが不安定で、YouTubeが途切れ途切れになります。シャワーのお湯も出ないし、昨日はPCの前をヤモリのような小動物が横切っていってぎょっとしました。ヤモリよりもかなり小型で、頭部が大きい見たことない生き物でした。真剣に翌日は宿を変えようと思って寝たのですが、一夜明けたらめんどくさくなりました。
朝起きて、「MySOS」へのワクチン接種証明書の登録を試してみたら無事成功しました。これで帰国については一安心です。
朝食はホテルについていました。簡単なバイキングです。
2日前にネットで、tnkトラベルという現地の旅行会社にクチトンネル観光のオプショナルツアーを申し込んでいました。クチトンネルはベトナム戦争時にベトコンが地下に掘った秘密基地で、全長200キロにも及ぶと言います。その一部が観光施設として公開されています。半日ツアーの代金は99万ドン(5940円)。
ツアーの参加者は全部で8人で、日本人は私一人だけでした。その一人だけのために日本語ガイドが一人ついてきてくれました。名前はニャーさんといいます。残りの7人は皆東洋人でしたが英語のガイドがついていました。(あとで国籍を聞くとマレーシア人が2人、インドネシア人が1人、あと4人はわかりませんでしたが名前は中国系でした。)tnkトラベルには最盛期20人の日本人がいたそうですが、旅行がダメになってもう数人しか残ってないそうです。
途中トイレ休憩で、枯れ葉剤被害者の2世3世が働いている漆工房を見学しました。
枯れ葉剤の障害が現れるかどうか、またどの程度の障害が出るかは生まれてみないとわからないそうです。子供が正常でも孫に障害が出ることもあるようです。現在も障害者が100万人いるとのことで、ベトナム戦争は終わってないと思わざるを得ません。
工芸品としては立派ですが、買って持って帰るわけにはいきませんでした。
クチまでバスで2時間、到着すると最初に映像でクチトンネルの紹介があります。
トンネル入口はこんなに狭く、米兵は入れない。自分は入れるかどうか心配しましたが、問題なく入れました。
わからないところに空気穴も作っています。
いろんな種類の落とし穴も設置していました。
実際にトンネルを通ってみるコーナーもありましたが、背をかがめてやっと通れるぐらいの小さな穴でした。米軍は爆弾を落としたり枯れ葉剤をまいたりして地下トンネルをなくしてしまおうとしましたが、試みは成功しなかったようです。
日本語ガイドのニャーさん
ニャーさんの漢字名は「雅」。1975年サイゴン陥落の3ヶ月後に生まれたそうです。日本語はベトナムの学校で勉強したとのこと。十分通じる日本語でした。これを機にベトナムのことをいろいろ聞きました。
市内に戻ってからホテルの近くで昼食。東南アジアではよく見られる指さしでおかずを選ぶランチです。ベトナムでは「コムタン」と呼びます。
美味しかったです。これで6万ドン(360円)。
一休み後市内散策。ホーチミン美術館を訪問しました。やはりベトナム戦争を描いた作品が目を引きます。
美術館の近くにニセモノ販売で有名なベンタイン市場がありました。お土産にコーヒー豆を買いました。
ベンタイン市場の前で地下鉄駅の工事が行われていました。ニャーさんによると地下鉄工事は9割方完成しているそうです。
有名な夜の街ブイビエン通りはホテルから歩いてすぐのところにありました。
ここは昼と夜で全く別の顔になります。
夜は耳をつんざくような大音響と煌びやかなライトに彩られ、大勢の観光客で身動きがとれないようになります。ここは本当に社会主義国なのかと思いたくなります。
一つの店でビールを頼み、お立ち台のダンスを楽しみました。ビール1本とおしぼりで12万5千ドン(750円)でした。
今まで旅行してきたベトナムとは別世界がありました。この独特の空気感は画像ではなかなか伝えられないので、日本に帰ってから動画をアップしたいと思います。
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動画をアップしました。
座ってビールを飲んでいたら、突然店のスタッフが道にはみ出している机と椅子を片付け始め、右手にビール瓶、左手にジョッキを持って立ったままビールを飲む羽目になりました。一体何が起こったのかわかりせん。警察の取り締まりでも来たのか。そのうち店のスタッフが店内に案内してくれました。
5分後には椅子と机はすっかり元に戻っていました。