カッパドキアからボアズカレへ
6月7日(水)
カッパドキアを後にし、ヒッタイトの都ボアズカレに向かいます。
ボアズカレは小さな村で、カッパドキアからは直線距離にしたら近そうなのだけれどバスの便がなく、タクシーを使ったら1万円以上は間違いなくかかります。それで、バスが使いやすいアンカラ経由で行くことにしました。
カッパドキアからアンカラまでバスで4時間。その後スングルルという町までバスで3時間半。そこからタクシーに乗ります。
アンカラのバスターミナルも巨大でした。
アンカラを出発して1時間くらいのところで車内に官憲が入ってきて、乗客の身分証のチェックを始めました。海外ではよくこういうことがあると聞いています。パスポートを渡したら中を見て戻してきました。
スングルルからはタクシーでボアズカレへ。30分かかりました。
こんな辺鄙な田舎にも24時間営業のATMが2台ありました。日本より進んでいます。
泊まり客は私一人でした。ホテルのオーナーは名前の通りバイカルさんと言う方でした。今朝メッカに巡礼に出かけたというバイカルさんのお母さんが作り置きした夕食をいただきました。
バイカルさんがsazというトルコの伝統楽器を演奏してくれました。もともと三味線と同じ3本の弦だったのが現在は7本の弦になったということです。
三笠宮崇仁親王は古代オリエントに造詣の深いことで知られますが、このボアズカレに2回来たそうで、バイカルさんが遺跡を案内したそうです。
ボアズカレ村の現在の人口は1700人。
何年か前まではスングルルからこの村まで1日に何本もミニバスが来ていたそうですが、過疎化で今は1日に1本もないそうです。日本と同じ問題を抱えているのですね。
こんな田舎にわざわざ旅行に来るのは物好きな日本人ぐらいかもしれません。
世界遺産 カッパドキア
6月5日(月)
10時間の夜行バス旅。なかなか眠れるものではありません。途中トイレ休憩が3回ぐらいありました。
朝4時、明るくなりかけた外を見ると延々と地平線が続いています。高原と思っていましたがむしろ平原です。
7:30、カッパドキアの一つの中心、ギョレメに着きました。
予約していたドミトリーは歩いてすぐの場所にありました。チェックインタイムは13:30でしたが、ありがたいことにその場でチェックインさせてくれました。
カッパドキアと言えば奇岩群が有名で、トルコへのツアーには必ずと言っていいほど組み込まれているものです。8000万年前の火山噴火で降り積もって固まった凝灰岩が後に浸食されてこの奇岩群を形成したと言います。凝灰岩の面積は九州と四国を合わせたくらいあるらしい。
カッパドキアはその奇岩でできた洞窟をそのままホテルにした宿が有名なので、そこに泊まってみたいと思っていました。しかし調べてみると結構な値段がするので、洞窟ホテルとしては一番安いホテルにしました。2泊で1015リラ(7105円)。
2段ベッドが置かれているだけです。男女共用で女性もたくさん泊まっていました。女性がいるのだからせめてカーテンが欲しかったです。
このあたりは洞窟ホテルだらけです。
当日のオプショナルツアーに間に合うというので、9:30出発のグリーンツアーを申し込みました。グリーンツアーは少し郊外を1日かけて回るコースです。60ユーロ(約9000円)。
最初の絶景ポイントはギョレメポイント。360度パノラマが広がります。
次に向かったのはカイマクル地下都市。カッパドキアには洞窟を利用した地下都市が30カ所以上あると言います。最も観光客の多いカイマクル地下都市は8階層あって、最大2万人が住んでいたそう。住んでいたと言うより、避難してきたといった方が正確かもしれません。この地はキリスト教徒が早くから居住していましたが、イスラム勢力やモンゴル軍などの侵略を受けるたびに地下都市に避難してきたようです。地下都市は生活のためより食料の貯蔵場所としての利用が主だったようです。
あまりきれいな写真が撮れませんでした。
次にウフララ渓谷に向かいます。
全長12kmに渡る渓谷で、キリスト教徒たちが作った岩窟教会も残っています。奇岩群の自然遺産と、それを利用した教会や地下都市の文化遺産が合わさり、複合遺産と認定されたということです。
昼食は川の畔のレストランで。魚を選択しましたが、あまり味がついてませんでした。
ところで、今日のグリーンツアーの参加者はイラン人の3人家族、米国から来たもとイラク人とヒスパニック系の彼女、それから私の計6人でした。ガイドはトルコ人。
アラブとイランとトルコという中東の3民族が英語を介してコミュニケーションをしているという図は興味深いものがあります。
イラン人の彼に、イランは経済制裁を受けていて大変じゃないですか、と聞いたところ、それは人によります、自分は医者なので大丈夫です、とはっきり言ってました。
家族で海外旅行に行けるのだから裕福なのでしょう。
昼食後、ピジョンバレーの絶景を見に行きました。
その後はお決まりのみやげ物屋などに連れて行かれてツアーは終了。
夕食は近くのレストランへ。
スパイスのきいたケバブはなかなかいけました。
6月6日(火)は夕方からのサンセットツアーを申し込みました。35ユーロ(5250円)。
カッパドのツアーと言えば一番有名なのが気球に乗って上空からカッパドキアを見学するツアーですが、値段が3万円~4万円します。そこまでの価値はないだろうと思い申し込みませんでした。
夕方17:50にバスが迎えに来ました。そのままバスで日没ポイントに向かうと思いきやさにあらず、途中で倉庫が並んでいる場所に停まり、ヘルメットを渡されたのです。この4輪バイクみたいなので行くのか・・・。
しかも自分で運転しろ、と言うのです。こんな乗ったこともない乗物をいきなり運転しろと言われても・・・(汗)。それに、誓約書みたいなものにサインされられたけど、あれは何だったのだろう。
結局写真の運転手さんの後ろに乗っていくことになりました。今回のツアーの同乗者はアフリカ系のカップル1組とインド人カップル2組。それぞれ男性が運転し女性が後ろに乗る形で出発。途中の道はかなりデコボコがあり、やはりバスで行くのは無理だったのかもしれません。
最初の絶景ポイントに来ました。
我々は一番遅く着いた組のようで、すでに100台くらいの4輪バイクが集まっていました。
次の絶景ポイント。
最後に日没観察ポイントまで来ました。
帰りは運転手を後ろに乗せ、4輪バイクを自分で運転しました。意外と簡単で、なかなか爽快な体験でした。2輪じゃないので倒れる心配ないし、運転免許も要らない乗物なのでしょう。
夜は当地の名物料理、壺焼きケバブに挑戦しました。壺に肉野菜を入れて煮込み、それを割って中身を食べるというものです。値段(350リラ)の割には期待したほどではありませんでした。
世界遺産 ヒエラポリスーパムッカレ
6月4日(日)
朝もう一度部屋の温泉につかりました。気分爽快です。
カラハユットの村から2kmの位置に世界遺産ヒエラポリスーパムッカレの北口ゲートがあるというので、歩いて向かうことにしました。ヒエラポリスはローマ帝国時代より温泉保養地として有名だったということで、その当時の遺跡が残っています。
北口から入ると、道の両側に墓が延々と並んでいます。
この大劇場の規模と保存状態はエフェソス遺跡と引けを取りません。
「遺跡の上で泳げる」温泉プール。クレオパトラも泳いだと言います。
ヒエラポリス博物館にはこの地で発掘された遺物が展示されています。
ここから下に下ると石灰棚で有名なパムッカレになります。
ただネットの情報では、近年水が涸れてかつての美しさが廃れたと書かれています。
確かに水を保っているのは一部の棚田だけでした。
棚田を傷つけないためでしょう、中に入るには靴を脱いで裸足にならないといけません。裸足で歩くとごつごつして足裏が痛く、逆に痛くない場所はつるつるしててとても滑りやすい。目の前を歩いていた女性が2回滑って転びました。
パムッカレを後にし夜行バスで次の目的地カッパドキアに向かいます。
デニズリまでミニバスで戻りましたが、バスの出発時間21:30まで6時間の空き時間があります。まずは遅い昼食。チキンのケバブをパンに挟んだもの。なかなかいけました。
デニズリ駅の待合室ベンチで寝ることにしました。しばらくすると雷音とともに大雨が降り出しました。時間はちょうど昨日の列車が止った時間。毎日の夕立のようなものかもしれません。雨が降り出すと急に寒くなりパーカーを着込みました。
雨は1時間ほどで止んだので、外に出てWifiが使えるカフェを探して時間をつぶすことにしました。
20:30にデニズリのオトガル到着。カッパドキアまでは10時間のバス旅です。
セルチュクからクシャダス、カラハユットへ
6月3日(土)
今日は快晴とは行きませんが晴れました。雨だと観光意欲は削がれてしまいます。
朝パン屋でパン2枚をテイクアウトしテラスで食べました。
誰かがトルコのパンは世界一美味しいと言っていましたが、確かに美味しいです。シミットはゴマをまぶしたパンで街角でもよく売られています。
今日はセルチュクからミニバスで30分のところにあるクシャダスというリゾート地に行ってみることにしました。白人の観光客が多い街です。
店から呼び込みの声掛け。「チャイナ?コリア?ジャポン?」これって観光客の多い順かな…中国人、韓国人の団体は大勢遭ったけど、日本人にはほとんど遭いません。
港まで出ると、大型客船が停泊中でした。エーゲ海クルーズの寄港地になっているのでしょう。
海に突き出たクシャダス要塞まで足を伸ばしました。この要塞の外壁は新しく、19世紀に建てられたようです。
これより南にかけては何キロもビーチが続きリゾートホテルが建っているらしい。
さて、1時間で観光を切り上げセルチュクに戻りました。
昼食はまたしてもアリさんの店で、スパゲッティ。
13:56発の列車で次の世界遺産パムッカレに向います。
都市と都市の間には広大な農地が広がっています。
トルコは食料の自給率がほぼ100%とのことで、豊かな大地を持っていることがわかります。
列車の終点デニズリに近づくにつれ雲行きが怪しくなってきました。雨が降り出し、前方では稲妻が光ってます。しばらくすると濁流が見え、そのうち冠水した道路、浸水した民家が見えました。これはただごとじゃないと思っていたら、デニズリの5キロ手前の地点で遂に列車は止まり動かなくなりました。折しも愛知県や和歌山県で水害が発生したというネットニュースを見たばかり。不安にかられていたら、それが的中。列車はバックし始め、一つ手前の駅に戻って来てしまったのです。
乗客はゾロゾロ降りて何やら話し込んでいます。言葉がわからない人間からしたら、不安しかありません。自分も降りて、近くのトルコ人の青年に何が起こったか、グーグル翻訳で尋ねたところ、安全が確認できない、道路が陥落して車も通れないので、ここで待つしかない、とのこと。参りました。最悪、列車内で夜を明かすことになるかもしれないと覚悟を決めました。
幸い1時間半後に列車は動き始めました。道路が川で大きく削られた現場も見ました。止まったり徐行したりを繰り返しながら、やっと7時半くらいに終点のデニズリに着いたのです。雨も小降りになっていました。
遅くなったのでタクシーで宿泊地カラハユットへ。
温泉村として知られる村です。地震大国のトルコは温泉大国だとも言われます。
1週間ぶりに湯船につかることができました。湯量は多く温度もやけどするくらいの熱さです。
世界遺産 エフェソス遺跡
6月2日(金)
今日は列車に乗ってセルチュクという町に向かいます。セルチュクは世界遺産エフェソス遺跡の中にあるような町です。
1時間半でセルチュクに到着。駅を降りた途端大きな遺跡らしきものを目に入ってきます。
駅の近くで昼食。アリさんという東京に2年住んでいたという人の店でした。
日本人にするとパンとピラフを一緒に食べるのは違和感がありますが。。。全て美味しかったです。トマトもタマネギもパンもただ焼いただけなのですが、素材そのものがおいしく、何も添加する必要ありません。
ホテルにチェックイン後、ミニバスでエフェソス遺跡へ。5分で到着します。
エフェソス遺跡はこれまで見たトロイ遺跡、ペルガモン遺跡とは比べものにならない規模があり保存状態もいいです。各国の団体がバスで次々と乗り付け、観光客の多さも比べものになりません。午後から生憎の雨となり、傘を差しながらの観光になってしまいしたが、1時間半かけてじっくり見ました。
1万2千以上の巻物を保管していたと言われる古代の図書館。
宿の向かいにエフェソス考古学博物館がありました。エフェソス遺跡で発掘された出土品などを展示しています。
セルチュクにも鮮やかなジャカランダの木がありました。
夕食はまたもアリさんの店で。明日から内陸に向かうので、魚を食べることにします。
肉料理より魚料理の方が好きです。肉は素材は決まっていて料理方法が違うだけですが、魚は多種多彩、味も多彩で楽しみがあります。
トルコ第3の都市 イズミル
6月1日(木)
ここまで駆け足でやってきたのでイズミルで2泊しちょっと休みます。
ホテルから徒歩圏内に古代アゴラ遺跡がありました。イズミルは古名をスミルナと言い、近隣の連盟の中心都市として紀元前8世紀に最盛期を迎えたと言います。詩人ホメロスの生まれ故郷としても有名です。アゴラ遺跡はアレキサンダー大王時代に建てられましたが地震で崩壊、その後ローマ時代に再建されたということです。
歩いていたらマクドナルドがあったので昼食を取ることにしました。
ハンバーガーとチキンバーガーを頼んだつもりがチキンバーガー2個になっていました。コーク、ポテトフライと合わせて95リラ(665円)は日本と比べても安いんじゃないでしょうか。
イズミル港に出ました。ここも釣り人が大勢います。沖合はエーゲ海です。
桟橋から船が出ているようで、もしかしたらギリシャに行けるのではないか、と思いましたがさすがにそれはありません。
遊歩道のベンチに座っているとエーゲ海側から心地いい風が吹いてきます。気候もTシャツ1枚で気持ちよく過ごせる最高の気候です。昔流行った歌
〽Wind is blowing from the Aegean 女は海~〽
が思い出されます。
さらに散歩してイズミル市民の憩いの場、時計塔広場まで来ました。
さらに足を伸してイズミル考古学博物館に行きました。ここにはヘレニズミ時代、ローマ時代の遺物が展示されています。
青銅製の彫像は溶かされて次の彫像に作り替えられたので、残っているのは貴重との説明書きがありました。
街中に紫の街路樹がよく目立ち印象的でした。グーグルレンズで調べると南米が原産のジャカランダという花らしい。日本では見たことない花です。
イズミルは400万都市で、地下鉄もトラム(路面電車)も走ってます。
結局徒歩圏内で観光を済ませたので「イズミルカード」を買わずに済みました。カードをどこで売っているのかもわかりませんでした。
帰り道にバザールがありました。大勢の人でごった返していました。
さすがに海の街、魚屋さんも軒を連ねていました。
いったんホテルに帰り一寝入りした後、また夕方に繰り出しました。
もう一度海岸沿いにやってきてレストランでシーフードを注文しました。
鯛の塩焼きか、これは美味でした。黒いソースは甘酸っぱくて魚に合いました。何よりトマトが美味しい。陽光を一杯浴びて栄養たっぷりに育ったという感じです。パンは食べ放題。ビールと合わせて225リラ(1575円)はちょっと高かったけど満足です。
真っ赤な夕日を眺めながらのビールも最高でした。
世界遺産 ペルガモン
5月31日(水)
チャナッカレからバスでベルガマに向かいます。ベルガマはかつてペルガモン王国があった場所でその後ローマ帝国の領土となりました。
まずチャナッカレのオトガルまで市内バスで行くのですが、バスに乗るためのチャナッカレカードを入手するのが外国人には難しい。各都市でバラバラにICカードを発行しているので厄介です。日本のように相互乗り入れしてくれればいいのですが。ホテルの受付のおじさんが日本に行ったことがあるらしく、日本はどこでも一枚のカードで行けていい。「我が国はそうなってなくてソーリー。」と言っていました。オトガルまで現金だと10リラと聞きました。いざ乗り込む際に財布を見ると20リラ札しかなく、それを運転手に渡そうとすると、釣り銭は持ってない様子。「もういいから乗れ。」と、昨日と同じくただ乗りになってしまいました。
ベルガマまでは4時間15分のバス旅。
ベルガマのオトガルも郊外にあり、市内までの交通手段はないようです。困っていたらバス会社の方がタクシーを呼んでくれました。タクシー借り切りで遺跡巡りをすることにしました。1000リラは痛い出費ですが、一人で歩いて巡るのはきついです。
アクロポリスは山の上にありました。麓からはロープウェーで登ることもできます。入場料200リラ。
上から見るとかなりの急勾配でちょっと怖いです。収容人数は1万人ということですが、こんな山の上まで人々は観劇のために登ってきたのでしょうか。
ローマ帝国時代に建てられた古代エジプトの神々を祭る寺院。壁と塔の一部が残るだけですが、それを見るだけでもかなりの大きさだったことがわかります。
ベルガマ博物館。
最初にペルガモン遺跡を発見したのがドイツ人だったため、出土品の多くはベルリンのペルガモン博物館に展示されているそうです。どうりで展示されている遺品が少ないはずです。
ベルガマからはミニバスで次の目的地イズミルへ。2時間75リラ(525円)。
イズミルのオトガルも郊外にあり、ホテルまではタクシーを使わざるを得ない。30分タクシー代185リラ(1295円)。長距離バス代とタクシー代のギャップには当惑します。
ホテルにチェックインする際、曲がりなりにも外国人を受け入れているのに、応対してくれた2人のおじさんがどちらも全く英語を解さないのには驚きました。トルコ語とジェスチャーと、最後には慣れたものでグーグル翻訳を使って応対するのはたいしたものです。安宿だから仕方ないけど、夜は隣の部屋のイビキが聞こえてきました。でも初日2日目のホテルはシャワーのお湯が出なくて冷シャワーでしたが、このホテルはお湯が出たのです。気持ちのいいシャワーを浴びることができました。
今日は昼食抜きでした。夕食は近くのレストランへ。お勧めの当地自慢のケバブを頼んだのですが。。。
味の方は微妙でした。う~ん、美味しいケバブを食べたいなあ。
現金が残り少なくなってきたのでATMで引き下ろしすることにしました。幸いATMはそこら中にあるので両替には困りません。